店主の想い

サラリーマン時代のツケで体調不調に。人生が終わったと覚悟したあの時。

私の前職は建設系のサラリーマンでした。いわゆる中間管理職でもあったことから、毎日、仕事に追われ、家庭も顧みず、仕事優先の暮らしでした。

昼食もあまり時間がないことを理由に出先でラーメンやうどんをすすり、夜は出前やコンビニ弁当といった日々で、就職から40代になるまで自分の健康について顧みることなど全くありませんでした。
一応、毎年人間ドックを受け、多少の異常値は見つかるものの、経過観察程度でしたので、今思えば「今の生活様式のままで大丈夫だ。」と心のどこかで、自分の健康について過信していたのです。

一方、妻は結婚して間もなく化学物質過敏症となり、香水や消臭剤、家電製品や洗剤などありとあらゆるものに化学物質が含まれているため、それらが漂うバスや電車をはじめ、お店にも入ることができない体質になり、食事にはとても気を付けていました。

その反面、家にいる時間が少なかった私は、妻と同じ食事をすることも少なく、仕事のストレスによる反動からか、脂っこいものや塩分が強い食べ物などを求める体質になっていました。

そんなあるとき、体に変調が起き始めました。トラブルを引き起こしてくる部下の業務の後始末に追われオーバーワーク気味に加え、組織からの理不尽な要求などなど。大きなストレスを感じてはいましたが、今まで色んな局面を乗り越えてきた自信とは裏腹に、突然、体が思うように動かなくなったのです。

朝、いつものようにベッドから起きて、出勤の準備をしようと起き上がろうとしたのですが、全く体が動かずコントロールができないのです。手や足に力も入りませんし、声すら出せないのです。

いわゆる、「自律神経失調症」というものでした。

その後も微かに動いたり、動かなかったりを繰り返しましたが、数カ月の間、集中的に整体や針灸を受けて何とか復帰することができましたが、それから約2年ほど、不安定な体調で今まで同様の仕事を中心とした暮らしをしていました。

しかし、うまく体がコントロールできない時があり、このままこの会社で今までと同じ暮らし方をするということへの危機感と、新たにチャレンジしたい事があったため、会社を辞める決意をした翌日、辞表を提出しました。

会社を辞め、今までの環境から抜け出せた開放感と、これからの希望に胸を膨らませていたのですが、それもつかの間、次第に節々が痛くなってきて、再び手や足に力が入らなくなったり、突然、全身に水疱瘡のようなぶつぶつが出来たりと体に異常が見え始めました。左腕も痛くて肩より上に上げることができなくなっていました。

そして、ようやく、病院に行って見てもらったのですが、結局、何故このような状態になっているのか原因が分かりません。血液に炎症反応が出ているけど、胃や大腸カメラ、CT、MRIと色々検査してもらいましたが異常なしという診断でした。結局、痛み止めの薬が処方されるだけでした。しかし現状、カラダでは何かが起きていました。

そこで、必死に色んな情報を収集したり、西洋と東洋の統合医療の機関で診てもらったりして、断片的な情報の点と点を結び、ようやく自分の身体で起きていることが明確ではににせよ、何となく分かってきたのです。

先の自律神経失調症を経て、リーキーガット(腸漏れ症候群)になっていたのです。

しかし、自分のカラダは思った以上に深刻な状態になっていました。首から下の全身に痛みが広がり、それが恒常化していました。首を少し動かしただけで全身に痛みが走ります。寝返りも打てないのです。食事の時も指から腕が痛くて箸も持てませんし、トイレに行っても自分でズボンなどが降ろせません。

新たな仕事は全く手を付けるできず、痛みを回避するためにほぼ寝たきりの状態となっていました。体温も自分でわかるくらいに低体温となっていて、常に足と手の指先が凍ったように冷たくなっていました。

寝たきりとなって当初は、脱サラ直後に、このような状態になったことに大きな悔しさとやり場のない憤りを感じていたのですが、徐々に、この状況を挽回できない、どうしていいか分からない自分の現状に虚しさが湧き溢れ、毎日、不意に目から涙が流れるのでした。「人生が終わったな。」と感じながら、天井を眺めるだけのいつもと変わらない長い日々が続きました。

ポジティブに考える。諦めないことを決めると・・・

いつものように、超ネガティブ思考で寝ながら過ごしていたある日、自分にはすでに目標がなくなっていることに気づきました。新たな仕事を軌道に乗せることが目標だったのに、もうそれが出来なくなっていたため完全に忘れ去っていました。そこで、元気だった頃はどのように過ごしていたかな?と思い返してみると、大なり小なり何らかの目標に向かって自分の限りある時間と労力を費やして、命を燃やしていたことに改めて気づいたのです。

「では、今は何を目標にすべきか?」体は動かないけど、頭は何とか大丈夫なようです。そして、何らかの目標をつくり、それに向かうために頭の中を「ポジティブなスイッチ」に切り替えるというイメージを常に意識することにしました。そして、焦らないことも決めました。

さて、その新たな目標とは一体どんなことでしょうか?今の自分が一番最初にとりかからなけばいけない「動かない体を少しでも動くようにすること」ということでした

「新たな仕事を軌道に乗せる(という目標を追う)前にやらなくてはいけないことが一つ増えてしまったな」という感じです。このように、入れるスイッチをポジティブへ意識的に変えるだけです。具体的には「動かない」⇒「いつか動かしてみせる」、「お先真っ暗」⇒「体が動くようになれば未来はもっと明るい」というように。また、目を瞑っては暗雲が立ち込めるのではなく、明るい白く輝く光が差し込んできて空間から黒くて悪いものが浄化されていって体が徐々に動き始めるといったイメージも常に意識していました。

そして、これらに加えて、小麦粉やグルテンを完全に絶ち、お米とお味噌汁を中心とした食事に改めたのでした。
そして、未だに関節や筋肉の痛みを感じるときもあって復活への道の途上ですが、痛みで回せなかった肩や少しでも動かすと激痛が走った指や手首が徐々に動き始め、恒常的な体温も上がり始め、人並み程度に働けるようになったのです。

でも、外へ出れば食べられるものがほとんどない!

食事を改めたと言っても、ここにも問題が立ちはだかります。販売されている食品や飲食店のメニューのほとんどに小麦粉やグルテン、そして食品添加物がたくさん入っていることです。

あれも、これも食べられないと消去していくと結果的に食べられるものが無くなります。私は必要以上には外には出ず、家の中に引きこもっていたため自宅で食事をすることが多かったのですが、打合せなどで外出せざるを得ないときはとても困りました。

選べる食品や総菜、メニューもほとんどありませんし、相手がいる時に、より好みをしていると失礼になると気をつかったりして食べて来たと噓をついたり、とにかく外での食事の時がとてもつらいのです。

なので、可能な限り食べられるものを持参して外出していました。時には我慢して食事制限することもありました。

私のようにグルテンを含む小麦粉などが食べられない人にとってはよくある話なのですが、何でも食べられる困っていない人にとっては、なかなか理解していただけないのです。

例えば、友人から食事に誘われたとします。パスタは小麦粉が主原料だからイタリアンはやめてくれても、そば屋は大丈夫だと思っていたり(そばにも小麦粉が使われている場合が多い)、天ぷらは小麦粉が使っていないと勘違いしていたりなどなど。

食事の時は本当に億劫というより、苦痛になっていました。

食事はご飯中心。でも、他のものが食べたくなる。

食事することが嫌になっていましたが、でも食べないといけません。なので、家ではおご飯に味噌汁、外ではおにぎりを持っていくなど、お米中心の食生活です。

でも、人というものはわがままなものです。茶碗のごはんやおにぎりばかり食べていると、なぜか、パンやお菓子、麺類なども無性に食べたくなってくるのです。

お菓子は米粉を使ったシフォンケーキなど、手に入りやすいですが、どうしても麺類やパンはハードルが上がりなかなか手に入りません。

そこで、パンやお菓子などを自分でつくることにしたのです。

食事の時間を楽しいひとときに。豊かな

自分の食生活を少しでも豊かにするためにはじめた自作グルテンフリー食ですが、私と同じように、体調不良を少しでも改善するために何を食べればよいのか分からない方や、食事に制限がかかることで、楽しいはずの家族や友人との食事の時間を苦痛に感じている方などに対して、解決の方向性が見つかるきっかけになれば、少しでも食生活が豊かになったと感じてもらえればと、グルテンフリー専門店をオープンしました。

そして、私たちがつくったものをはじめ、選んできた全国の良質な食品を食べることで、あなたやご家族の食事のひとときが、より豊かで楽しいものに感じるきっかけになれたらと願っています。

また、いつか機会がありましたら、私の経験談等をブログなどに記したいと思っています。

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